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1year


娘が一歳になりました。
ここまで、あっという間でした。

もうすぐ、七月の三連休が来ます。
二年前、採卵した三連休。私にとって、とてもとても大切な三連休。

ネットの記事で、「生まれてくる子は、マイナス1歳の誕生日のときに、パパとママを決める」と読みました。
しかし、体外受精の子は、マイナス一歳のときがパパとママを選んだ記念日にはならないんだろうな、と感じました。

わが子はいったい、いつ私たちのところに生まれようって決めてくれたのかな。
七月の採卵のときに、もしそのまま凍結せず、新鮮胚で移植していたら、誕生日はたぶん4月くらいだったのではないかと思います。
そしたら、二年前の4月くらいに、お空の上でパパとママを見つけてくれたのかな。

いつか、体内記憶のことも聞いてみたい。
いつも、お昼寝中の娘の顔を眺めながら、とりとめもないことをいろいろ考えます。

娘はあっという間に1歳になりました。
可愛くて可愛くて、本当に目に入れても痛くないほどかわいいです。

最近生理が戻ってきて、二人目について思いをはせる日も増えました。
でも、クマタ君が、「うちは一人でいいんじゃない? カピコの身体も心配だし」と全く乗り気ではありません。

今の私の心境としても、可愛い赤ちゃんをもう一人欲しい気もしますが、リスクを冒してまで二人目を望む気持ちは高まりません。
思い返しても、不妊治療は大変だったから。

今ならたぶん、気分の余裕は持てるだろうと思う。
でも、その分、「どうしても不妊治療したい」という強いモチベーションが保てません。

だから、このままわが家は一人っ子でしょう。
その分、たくさんたくさん、愛情を注いで育てていこうとおもいます。

ときどき、不妊治療ちゅうのことを思い出そうとしますが、もう靄がかかったように、よく思い出せません。
生理が戻ってきたら思い出すかとも思ったけど、やはり思い出せません。

辛いことはたぶん、忘れるようになってるんだろうな。

あの頃に読んでいた色々な方のブログ(読み逃げですが)も、時々読ませていただいています。
私が読ませていただいていた方は、八割方同時期(又は私より早く)妊娠出産していらっしゃるので、先輩の日記として読ませていただいています。
そして再び、不妊治療のカテゴリからちらちら新しい方の日記をのぞかせて頂いて、「がんばれがんばれ」とエールを心の中で送らせていただいています。

ママとしても、一歳になって。
慣れや慢心が出てきました。

大事な大事な、あれほど望んで授かった娘を、これからも、大切に大切にしていこうと思います。
もちろん、過干渉にならないように、バランスよく、ですね。

最近の娘は、「びじんね」「おいしいね」「きれいね」「ないないね」など、いろいろ言葉が増えてきました。
ますますママ大好きになって、パパに抱っこされていても、ママの方に行く、と身体を乗り出すので、パパが拗ねています。

トイレにも一緒に行く毎日で、トイレ掃除も手を抜けませんが(笑)、とっても幸せです。

この幸せが、いつまでも続きますように。
大切な、可愛い娘が、五歳になっても十歳になっても、二十歳になっても、四十歳になっても八十歳になっても、百歳になっても、幸せで健康でいてくれますように。

そして、皆さまにも幸せが舞い降りてくれますように。

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とってもご無沙汰しています。

私はといえば、いまだにわが子をこの手にできたことが夢ではないかと思っています(笑)。
相変わらず、疑り深いのも天下一品。実際に娘が目の前にいるのにね。

それでも、しばしば、娘を見ていると思うんです。
この子、ホントに私が産んだのか? って。
帝王切開だったので、おなかに傷が残ってます。この傷を見直して、ホントに生んだんだなあって確認する毎日です。
この傷がなければ、たぶん今頃、「ホントに私が産んだんだっけ?」と疑ってみたりしてるんじゃないかと思ったり。

先日、ひな人形が届きました。
ひな人形を買いに行ったとき、「次は第二子の五月人形でお待ちしてます」ってお店の方に言われました。

不妊クリニックの先生といい、産院の先生といい、人形屋さんといい、私が第二子を妊娠すること前提でお話してくださるのが、とってもくすぐったいような照れくさいような。

でも、現実問題、まだ生理も戻ってきてませんし、相変わらず、一人っ子かなあという認識でいます。

7ヶ月になった娘は、とにかく可愛くて可愛くて、毎日飽きずに「可愛いね、大好きよ、パパとママのおひめさま、美人さん」と私が連呼しているせいで、クマタ君が「カピコのマネ!」と言いながら、これらの言葉を繰り返してからかってきたり。

こんなうれしい言葉を口癖にできるって、本当に幸せ。

夜、少しぐずっても、手を握ると娘は安心したように再び眠ってくれます。
手を握って安心と幸せをもらっているのは、むしろ私の方でもあります。

今不妊治療を頑張っている最中の方々すべてに、この幸せが訪れますように。
そして、可愛い、可愛い、最愛の娘の長寿と健康、そして幸せを、日々日々祈って過ごす毎日です。

あっという間に10月になりました。
今でもふっと思います。この現実が夢なのではないか、と。

昨年の今頃は、生理が始まった頃で、移植するか採卵にするか悩んでました。肌荒れが酷くて、移植にすると決めた後も、本当に移植でいいのか悩んだり、8月にメロンちゃんではなく、本命病院で運快ちゃんを移植してあげていればよかったと後悔したりしてました。

おととしの今頃は、一つ目のクリニックで、やっぱり移植周期で、初の二つ戻しに挑んでいた頃でした。
双子のママになるかもなんて思っていたなあ。

本当に、今、私の腕の中で元気に大騒ぎしているわが子がいる現実が、今となってはすごく自然で、まだ生まれてから三か月しかたってないのかと思う反面、もう三年くらいこの子と格闘しているような気もして、まだ三ヶ月かと思うこともあります。

最近、しみじみとこの子は「オンリーワン」なんだなって思うようになりました。
当たり前の話だけど。

不妊治療していたときは、ハッチャンがお空に帰ってしまったら、忘れ物を取りに帰っただけだよね、って。
すぐに戻ってきてくれるよねって思ってました。

でも、当たり前ですが、ハッチャンとメロンちゃん、運快ちゃんは別人です。

それをしみじみと実感するにつれ、やっぱりうちは一人っ子でもいいかなという気持ちが強くなってきました。
なんとなく、自分では、子どもが一人しかいなかったら、その子に何かあったらそこから新しく子作りできる年齢でもないし、今のうちにもう一人生んでおこうか、って考えから、私は二人目がほしかったのではないかと自己分析しました。

事故などのニュースでも、一人なくしてももう一人のお子さんが無事というニュースを見ると、今までは「一人でもお子さんが無事だったんだからよかったね」って思う自分がいました。
でも、考えてみたら、きょうだいがいてどちらかが無事でも、どちらかに何かあった場合、親が感じる悲しみは、「もう一人子供が残ってるから」という理由で、減ったりしないんですよね。

もし、わが家に第二子が生まれたとして。
運快ちゃんに何かあったら耐えられないのは、一人っ子だろうが、二人きょうだいになろうが変わりません。

本当に、この子が大事です。可愛いです。

二人目を作らなくちゃ、という呪縛が今、薄らいでいます。
何のために二人目がほしいのか。
今のところ私は、そんな、「スペア」のような考え方から、二人目がほしいって思っていたんだと、自分で気付いたので。

もし、そのうち別の意味で第二子がほしくなればまた検討するかもしれません。
ちょこっとだけ、男の子を育ててみたい気もするし。
私が高齢出産だから、運快ちゃんにきょうだいがいれば、安心できるかなとも思うし。
純粋に、可愛い赤ちゃんをもう一人授かりたいなという気持ちも、ちょこっとはあります。

でも、前々から書いているとおり、そのメリットに対するデメリットが大きい。デメリットでメリットがかすむ状態です(笑。

なので、やっぱりうちは一人っ子でもいいかなと思っています。

なお、周りを見ると、意外と高齢出産多いなという印象です。
さすがに40代での出産はそこまで多くないでしょうが、高齢出産となると、少なくとも10人中3人くらいは高齢出産(35歳以上)ではなかろうかと思ったりしてます。高齢出産でなくても、30代が多い印象です。
むしろ、40代と20代は同数くらいではなかろうか。多数派が30代。それも35歳前後がボリュームゾーン。
あくまでも私の所感ですが。

まあ、地域の集まりに顔を出した結果なので、そういうところに顔を出すのはある程度の年齢のママが多いのかもしれません(笑)。
実際に保育園などに入園したら、ママの年齢構成はもっと若くなるのかもしれませんが、今のところ、そこまで浮いて困るという経験はしてません。

不妊治療をなさっている皆様が、一日も早くお子さんを無事に出産して、高齢出産仲間が増えるといいなと思っています(笑。

いつの間にか、世間では9月になりました。

出産したのが6月なのに、もう9月。出産後は、数時間おきに、授乳→げっぷ→遊ぶ→抱っこしてゆらゆら→寝たら抱いたまま座って私も一休み→起きたらおむつ→授乳→げっぷ……とエンドレスなので、あまり1日が24時間だと考えることもなく過ごしています。
むしろ、「今授乳しているから次の授乳は何時かな」とか、、、長くても3、4時間先のことまでしか考えて生活してません私。

そんな感じで過ごしているので、改めて9月になったと気付いてみると、周りはだいぶ秋めいてきました。
空が高くなり、ススキやコスモスが目立つようになってきました。
今年は関東はだいぶ過ごしやすかったように思う夏の暑さですが、それでも朝晩はさらに過ごしやすくなってきました。

9月は私の誕生月でもあります。
もうすぐ、私は41歳になります。

去年までの私は、誕生日が来るのが怖くて、嫌でたまりませんでした。

でも、今年は誕生日が来ることに対して、ニュートラルです。
年齢を重ねることが、怖くなくなったのかもしれません。

不妊治療していると、1歳の差は巨大なものに思えていました。38歳と39歳。39歳と40歳。巨大な隔たりを感じていました。
一つ年を取るたびに、妊娠がまた遠のくと思っていました。

でも、今年からは、年を取ることをそこまで嫌にならないで、誕生日を迎えられそうです。
年齢を重ねるということは、運快ちゃんの成長を見守ることができるということだから、これから先、来年再来年のことを考えるのが、楽しみになりました。

去年までは、来年再来年という単語さえも、嫌だったんですけどね(笑。
幸せな誕生日をありがとう。運快ちゃん。

そして今年の誕生日には、実母にも、いつもより心を込めてありがとうと伝えたいと思います。

手術室に入って、噂の注射2本。1本は手術用の麻酔。もう一本は背中に管を通すための注射。この管を使って、手術後に麻酔液を入れるらしい。手術後の痛み止めのため。
どっちが痛いんだろう。話だけ聞くと管を通す方が痛いような。

思いっきり背中を丸めたほうが痛くないということだったので、思いっきり背中を丸めました。
一本目。……痛くない。
二本目。………痛くない!

良かった、麻酔の先生、名医!!
前日説明に来てくださったときには、まだ若そうで少し頼りなげに見えましたが、上手でした。

その後、ベッドに横になり、さすがに下は見えないように胸のあたりにカーテンをかけてもらえます。
麻酔が効いてきたか、冷たいものを当ててチェック。

段々下半身の感覚がなくなってきたことを確認してから、手術開始。
すーーっとおなかを何かが滑っていく感覚。ああ、切ってるなと理性ではわかりますが、そんな感覚はありません。
もう一本、すーーーっと滑っていきました。

二回切られたというのは分かりますが、それ以外は何も分かりません。
すると、激しい胎動のように、おなかがびくんびくんとしたなという感覚があって、それから、「生まれました!」

……え!? もう!?
っていうか、赤ちゃんの産声は!?

ドラマではおぎゃあ、って大きな声が聞こえてくるけど、そんなこともなく。
よく耳を凝らせば、ふにゃふにゃ聞こえてきて、ああ、これが産声か!? って。

一生懸命足の方を見ていたら、看護師さんが、「もうすぐ赤ちゃんをそばに連れてきますからね」って言ってくださいました。看護師さんが手術中、ずっとそばにいてくださって声をかけてくれたので、とても心強かったです。
なお、学生さん二人は、壁際に立ってただけでした。

赤ちゃんは、台に乗せられいろいろ処置をされているようでした。
その間も泣いているので、生きてるんだということは分かって、本当に安堵しました。

その後赤ちゃんの検査なども終わって、私の横に。
初対面した赤ちゃんは、目をつむって、胎脂がたくさんついていて、真っ赤な顔で泣いていました。

すごくあったかい。
ああ、クマタ君に似てる。
私たち、この子に会うために今まで頑張ってきたんだ。
ようやく会えた。

そしたら涙がだーーーっとあふれてきました。


その後赤ちゃんは一足先に手術室を出て病棟の新生児室へ。
赤ちゃんがいなくなると、私も急に自分の手術状況が気になります。

「お母さんはもうちょっとかかるからね」
そういわれて、じりじり待つ。
することもなく、無駄に意識がはっきりしてるのはいろいろ想像力が掻き立てられるのでよくないです
ふと気づけば、眼鏡を取ってるのに、目の前に管があるのが見えました。その管の中を、血が流れて行ってるのが見えて、俄然気分が悪く。。。目をつむっていたら、「寝ちゃった?」と聞かれました。

いやいや、そんなに図太くないです。起きてます!
先生方はもはや和やかに、甲子園がどうたら、とか、今日のランチの話をしながら何やら手を動かしてます。おそらく私のおなかを縫合しているものと思われますが、まったく緊張感はありません。
ついでに、患者本人の意識があることもあまり念頭にない模様。。。

まあ、たぶんもうここまで来ると相当ルーティンというか、失敗の余地が少ない箇所なんだろうなと思えて私もちょっと安心です。

バチンバチンとホッチキスで傷口を留めて終了。

「まだ2針残ってますけど」
「あ、じゃあこの辺留めといて」
という、超アバウトな会話が聞こえてきましたが、とりあえず聞こえないふりです。いいのか、そんなにアバウトで;

私は、赤ちゃんが出て行ってからがとにかく長く感じました。
痛みはまったくありません。

その後、手術室から隣の部屋に移動して、脈などを測って、レントゲンを撮って終了。
再びストレッチャーに乗り換えて、エレベーターに乗って病棟へ。

病室のある階に止まると、両親とクマタ君が待っていてくれました。

「赤ちゃんに会えた?」
「会えたよ! 頑張ったね!」

みんなにこにこ。
あー、本当に幸せだなあ。こんな、無条件でみんなに幸せをくれる赤ちゃんって、ホントすごいなって実感しました。私も早く、もう一度会いたい。
その、3時間ほどあとに、病室に赤ちゃんを連れてきてもらって、再び私の横に寝かされました。

胎脂はだいぶ取ってもらっていたけど、まだ残っています。
顔も赤く、すごく小さい。手のひらで、私の人差し指の先っぽをぎゅっと握ってくれただけで、すごくすごく幸せになりました。
大きな声で力いっぱい、全身で泣くのを見ると、生きてるって実感しました。

今まで私のおなかにいたんだ。
そう考えると、すごくすごく不思議な気がしました。ほんとにこの子、私のおなかにいたのかな?

帝王切開だと、「生んだ」というより、「生まれた」という感じでした。

そんな風に、余裕をかましたことを考えていられたのも、あとから思えばこのころまででした。
この後、段々麻酔が切れてくると、私の場合、全身が痛くなってきました。傷跡や後陣痛も痛いですが、それ以上に、まず背中が痛い。肩が痛い。肋骨が痛い。

寝返りを打てないせいかと思い、その日は真夜中、数時間おきに見回りに来てくださる看護師さんに、その都度寝返りをお願いすることに。

息をするだけで肋骨が痛むので、痛みで息ができなくなって心電図がピーピーと音を立てることもしばしば。
とにかく時間が経過するのがのろのろに感じられて、身体は痛いのに自分で動けないもどかしさがありました。この、初日はまったく眠れませんでした。

翌朝、ようやく右足にほんのりと感覚が戻ってきました。ここで、背中に入れていたチューブが抜けました。痛み止めを直接流し込んでいたチューブです。これが抜けると俄然痛みが増すというので、私も戦々恐々。
とにかく術後48時間我慢すれば痛みは引いていきますという言葉を頼りに、あと24時間、とカウントダウン。

昼頃には左足にも感覚が戻ってきました。
それでも、肋骨と背中と鎖骨が痛い。先生の回診のときに訴えると、「肋骨折れたかな?」と見てくれましたが、骨に異常なし。

おなかも痛かったけど、それ以上に私の場合、肋骨が痛かった。息を吸うだけで痛むくらい痛かったです。
この、術後翌日の昼から、おかゆ+通常のおかずでごはんがスタート。
通常のおかずなら、米をおかゆにしたところで意味はないのではなかろうかと思いつついただきました。

この、出産翌日(1日目)から歩くように言われて、午前中に立ち上がる練習。昼には歩いてトイレに行けるようになり、午後一番でようやく新生児室へ。

同じ日の出産の人は、午後の段階でまだ立ち上がれなかったようです。個人差あるのかも。
この日はおっぱいをくわえさせるも、ほんのわずかに滲む程度。それでも頑張ってとにかく時間になると誰より早く新生児室にいって、誰より遅くまで悪戦苦闘。
やはりこの2日目も夜眠れませんでした。そしてこの2日目から大部屋に移動になってしまいました。

更に翌日(3日目)、術後48時間が経過しても、やっぱり肋骨が痛みます。鎖骨もミシミシいうので先生に再度訴えると、「筋肉痛じゃない?」ってことで湿布が出ました。湿布を貼ったら、速攻治りました。先生さすが!!

傷は特に、術後から痛んだ記憶はありません。多少痛かったけど、それより肋骨のほうが何倍も痛かったし、肋骨近辺の筋肉痛が治ってからは、おっぱいのほうがよっぽど痛いので(マッサージも痛かったし、早々におっぱいが切れたので、乳頭保護器を使わせてもらっていたのですが、授乳の後、その乳頭保護器の下が血まみれになっていたこともあります。もちろん授乳禁止令が出ました;)、帝王切開の傷については痛みはまったくありませんでした。私の場合。

その後、おっぱいが余りにも出なかったので、焦って頻繁に新生児室に行っていたら、「また来たの!? 頑張りすぎ! 寝なさい! 寝ないとおっぱいでないわよ」と言われて、授乳時間以外は立ち入り禁止になりました(^^;
おっぱいも自分でマッサージするのは禁止されました。出血したら授乳禁止と言い渡されました。。。

真夜中も、出産後、数日間ほとんど寝ずにとにかく新生児室にこもっていたのですが、特に眠くならなかったです。
帝王切開の傷も、私の場合はそこまで痛くなかったです。後陣痛も、多少、というところ。それよりおっぱいのほうがよっぽど痛い。
マッサージも痛いし、その痛みに耐えても、おっぱいは出ないし。おっぱい関係が今なお最大の悩みであり、出産直後からの最大の痛みはおっぱいのみ、という感じです。

この入院の後半で、再び看護師さんに呼ばれまして、今度は看護学生の実習が入るが、担当患者さんになってもらっていいかということでした。今度も快くOKした私でしたが、これはとっても大正解というか、いいことづくめでした。
看護学生の実習は、指導教官とマンツーマンです。
なので、私のおっぱいマッサージを、教官がつきっきりでやってくれたのです!

このおかげで滲む程度だった母乳を、初めて、5ミリ程度ですが取ることができました。搾乳して飲ませてあげられたときの感動は忘れられません。
今も、出ないなりに頑張っていられるのは、教官のおかげだと思っています。
多分今も、両方で20~40ミリ程度しか出てないはず。それでも、一日6~7回の授乳で毎回飲ませていれば120ミリにはなります。まったく母乳を飲ませないより、飲んでもらった方がいいのは確かなので、頑張れます。

もう母乳量を増やそうとか、完母を目指そうとか思ってません。かえっておっぱいが痛くなったり、トラブルを抱えて、まったく母乳をあげられなくなる方が嫌だから。

そして、傷の方ですが、今は赤くなっていて少し盛り上がっていますが、きっとそのうち治ってしまうと思います。もうパカッと開くことはなさそう。退院したころはちょっとかゆかったです。ホチキス止めは、退院の前日に外されましたが、これも特に痛くなかったです。

出産直後、看護師さんから言われました。

「お母さんってすごいですよね。病気でもないのに、子供のために自分のおなかを切るって、自分で覚悟を決めるんだから」

……あとから、似たようなセリフが「コウノドリ」にもあると知りました。ホント、客観的に考えるとそうですね。
でも、わが子のためなら、おなかだって切れるし、たぶん心臓だってあげられると思います。とはいえ、私が死んだらこの子が困るので、今は何としても私も長生きする方向で。
この子のお母さんは私だけです。私以上に、母としての愛情を掛けてあげられる人間はこの世にはいないと思うと、何が何でも死ねません。

実母にも、親が死んだら子供がかわいそうだから、健康に気をつけなさいと言われました。
ついでに、母が、「お母さんもおばあちゃんも緑内障だから、あんたも40歳過ぎたら検査しときなさいよ」って。
はい、もう過ぎてますので、ちょっと落ち着いたら検査します。
そのメッセージ、運快ちゃんにも伝えたいけど。。。運快ちゃんが40歳になったら私は80歳か。ボケて覚えてなかったらどうしよ;

こうして生まれた運快ちゃんも、今日で生後70日です。
生後10週です。

妊娠で10週というと、ホント初期の初期だと思ってましたが、出産後10週は、かなり大きくなってきたし、首も据わってきました。先日は、たまたま単発ですが、いきなり寝返りもしました。目まぐるしく進歩してます。出産直後と全然違う。

そう考えると、妊娠10週も、だいぶ軌道に乗って来る時期だったんだろうなあ。安心して良いと言われたら、本当に安心して妊娠生活を楽しみ始めていい時期だったんだろうと思います。

生後の生活は、一日一日、目いっぱい楽しんで、家族三人で過ごしていこうと思っています!

カピコ

Author:カピコ
妊娠することがこんなに大変だとは思わなかった!
妻:カピコ(1975年生まれ)
夫:クマタ(1976年生まれ)
二人でも幸せだけど、赤ちゃんが来てくれたらもっと幸せ!
いつかこの手でわが子を抱ける未来を信じて。